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米津玄師はナゼ人気?あまり公開されていない秘密をまとめてみた。

米津玄師の曲制作秘話や私生活について-キャッチ画像

これまで当サイトでは、
米津玄師の新曲フラミンゴを考察してみたりしましたが、

今回は米津玄師(よねづ けんし)さんの魅力を徹底解明!
日本の音楽界を揺るがす巨人はどのようにして生まれたのか。
米津玄師の曲は?その魅力や私生活などあまり公開されていない
素顔や秘密について迫ってみました。

※topの画像はイラストで描いています

米津玄師のプロフィール

米津玄師とは?プロフィール

2009年よりバンド活動と平行しながら、ニコニコ動画にて
オリジナルボカロ曲の投稿をスタート。ハチという名義で
「マトリョシカ(1000万回再生)」「パンダヒーロー(600万回再生)」などの
大ヒット曲を次々と生み出し、ネットでの音楽活動が認められ、
2013年よりメジャーデビュー。これまでの動画再生回数は6億回を超え、
ビルボード音楽チャートにて7度の1位、第10回CDショップ大賞受賞。
アニメやドラマ、映画などの主題歌も手がけ、幅広い世代で絶大的な支持を得る。

また、作詞、作曲、演奏、ボーカルから、
CDジャケットに使われているイラスト、アレンジ、プログラミング、演奏、
ミックス、動画制作などに至るまで全て1人で制作し、
イラストレーターとしてのファンも多く、ルーブル美術館の展示でイラストが
展示された事もある。まさに1000年に1人と言っても、過言ではない、
モンスター級のアーティスト。

名前(本名)米津玄師(よねづ けんし)
別名義での活動ハチ
蛙屋(かわずや)
生年月日1991年3月10日(27歳)※2018時点
身長188cm ※足のサイズ29cm
血液型O型
出身地徳島県徳島市
担当分野作詞、作曲、演奏、ボーカル、イラスト、アレンジ、プログラミング、演奏、ミックス、動画制作など
活動開始時期2019年よりハチ名義でニコニコ動画から活動開始
動画総再生回数 1億9千万回突破(記事執筆時点)

ビビ

えぇっと、改めてプロフィール……。
書こうとしたんだけどね。スゴすぎて、文字がいくらあっても足りないわww 10人分ぐらいの仕事を1人でこなしてるし、
個展とかもひらいちゃってますからね。イラストで。ちょっとヤバスギてなんて言ったらいいのか

ビビ

もう、ヤバイという言葉の代わりに米ちゃんって使おうよ。友達からそう呼ばれてる時もあるみたいだし

米津玄師の私生活

せっかくなので、ラジオで話していたトークや、
インタビュー、ライブ配信時のエピソードなど、
米津玄師のあまり公開されていない情報をまとめてみました。

米津玄師の食生活

普段は1日1食ぐらいだそう。ご飯を食べるのが面倒くさいらしく、
某ラジオの対談にて、ひとまずそこら辺にあるもの食べられればいい。
という様な感覚でご飯を食べているそう。

基本的にコンビニで適当に買うか、マクドナルドか
ソバを適当に食べる生活をしているらしく、
飯屋に行っても、メニューを一切悩まず、ひとまず
ソバがあればすぐソバを頼み食べる。

という無頓着ぶり。昨日の晩ごはんを聞かれて、
何を食べたのか覚えてなく、

米津玄師の食生活に彩りは無さそう。

ただ、別の放送にて、

過去大阪に足を運んだ時に、
551の豚まんをたまたま食べた時に
美味しかったと話しており、大阪の食べ物で食べたいものは?と聞かれて、
551の肉まんが食べたいと即答している。

また、別の放送にて、
お酒を飲みながらラジオ放送するという番組にて、
米津玄師さんが持ってきたおつまみが、
「博多なかなか」の乾燥めんたい。明太にチーズが入っている。
食べ物で、どこかのバーでたまたま食べた時に衝撃的な美味しさだったらしく、
ビールにめちゃめちゃ合うのだとか。

▼こちらから見れるよ

旅行 帰省土産 博多なかなかドライ 明太&チーズスティックタイプドライ燻…

ビビ

あんなに食に無頓着な人米津さんが、食べたくなるもの!
って気になるね!うまそうだった。

米津玄師の断捨離グセ

よくネットで本を買うらしく、溜まった本は
すぐに捨てるとの事。捨てる行為がすごく好きで、
断捨離が気持ちいいとの事。要らない本は躊躇なく
バッサリ捨てるとか。

米津玄師の音楽をはじめたきっかけ

小学校5年生の時に実家にインターネットが開通し、
そこで、インターネットの向こう側でFLASHアニメが
流行っていて、どこぞの誰かも分からない人が、
既存のアニメに音楽をつけて流すという文化が作られていて、
それを、はじめて観た時に「音楽ってこんなにいいものだったんだ」
と衝撃を受け、その体験が音楽はじめることになったきっかけ。

米津玄師の音楽原体験

米津玄師さんが生まれて始めて買ったCDは、
小学校3年生ぐらいの時に「だんご3兄弟」が爆発的ヒットし、
これまで音楽を聞かない生活をしていたが、お小遣い握りしめて、
自分のお金で買ったとのこと。

このだんご3兄弟が音楽の根底にあり、ここから、
自身の音楽が発展したと答えている。

▼ちなみにだんご3兄弟はこちら

ビビ

かわええな笑

そこから、一旦音楽から離れたが中学生時代に
スピッツやBUMP OF CHICKEN、RADWIMPS、
アジカンなど日本J-POPやロックバンドを中心に聴き、
作詞などものすごく吟味していたといいます。

そこで、オリジナル作品を作りたいという気持ちが強くなり、
オリジナル曲を作りまくっていた。

最初はギターで曲を作ろうと思ったが、いい音を録れる録音環境ではなく、
ギターをパソコンにつないでもペラペラの音しか撮れなかった。
そこで、とりあえずギターは置いておいて、打ち込みで音楽を作った。

パソコンの配線などがゴチャゴチャしているのが苦手なので、
打ち込みよりも、最終的にギター1本でシンプルに音楽を作りたい
という気持ちもある。

と話している。

米津玄師が人生で初めて作った歌

当時NHKの「みんなの歌」が好きで、14歳当時
ギターを買って1週間以内に適当に作ったオリジナル曲が、

「えのぐの歌」という歌。

当時のデータ等は残っていないが、
どんな歌だったか?というのは、今でも覚えているとの事。

学生の時に聴きまくったバンド(バイブル的なアーティスト)

学生の時に熱中して聞いてたバンドは、
Vampire Weekend(バンパイヤ・ウィーケンド)のデビュー・アルバム。
初めて聴いたのが、18、19歳ぐらい。スカスカでヘナチョコな感じに
聴こえるけど、独創的でメロディが美しくて、スカスカかと思いきや、
必要な音しか鳴らしていない合理性だとか、そういうのを一番最初に聴いた時に、
とんでもない衝撃を受けて、このアルバムはものすごく聴きました。
バイブル的なアルバムです。

とラジオで話している。

▼Vampire Weekend(バンパイヤウィーケンド)の曲はこちら

米津玄師の人生を変えたアーティスト

平沢進がニコニコ動画で神格化しているのを観て、初めて聴いた時に、
本当にこれまで聴いたことない曲ばかりで、中でも
MOTHERという曲は本当に聴いた事ないような新しい音楽なんだけども、
どこかに懐かしさとかを宿している。そこには何か普遍的な何かがあるんだろうな。
と思ったし、ものすごいバランス感覚で成り立っている音楽だなと。
これを聴いて、自分の音楽でもバランス感覚を大事にしようと思えた。
とても尊敬するアーティストという話をしている。

▼平沢進のMOTHERはこちら

米津玄師に影響を与えたアーティスト

トーキングヘッズのリメイン・イン・ライトというアルバムが
影響を与えたそうです。これも、学生時代18、19歳の時に、
聴きまくっていたのだとか、確かに音の使い方が、
米津さんが使うクェッ音のような部分が少し垣間見えるような気がします。

米津玄師の学校生活

大阪で美術系の専門学校に行ってたらしく
どんな専門学生でしたか?と聞かれて、

学生としてはしょーもない学生で、
学校から絵の技術なども学んだことはなく、
何しに学校行ってたのか?と聞かれたら、
ほぼ遊びに行ってたので、学校の憩いの場みたいな
休憩スペースでひたすらモンハン(ゲーム)と卓球をやる
ような学生だった。

と話している。

この頃も、中学校から続けていたバンドをやっており、
文化祭などでオリジナル曲を披露していたとの事。
当時、メンバーがあまり居なく、米津玄師さんは
ボーカル・ギター担当だったが、ベースが居なかったので、
ベースを弾きながら歌っていたと話している。

バンド活動は、あまりうまく行かなく、
メンバーとの温度感の違いを感じた事と、
1人でやるのが好きだったのもあり、
家にパソコンが来た事から、1人で音楽作れる環境もあった。
そこで、ボーカロイドに出会って、作ったら
すごい楽しくなって、のめり込んでやっていたとの事。

中学生時代はウェイウェイ騒ぐタイプではなく、
宮沢賢治などの本を読んで静かに過ごすタイプだった。

米津玄師の学生時代の写真

部活してた?という質問に対して

中学校の時は、テニス部だったとの事。
たまに野球などのスポーツを観るらしい。

米津玄師の金銭感覚

財布は見せるのをためらうぐらいボロボロで、
財布の中にいくら入っているのか毎回確認しないため、
たまに会計の時に1200円前後の商品を払おうとするも、
札束が入ってなく、小銭を全て出してやっと払おうとしたが、
あと5円足りなくて買えなくて、すごく恥ずかしかった。
というエピソードを話していました。

こういう事態が度々あるらしく。
お金にも無頓着な性格が伺えます。

今一番欲しいものは、楽曲制作に使う
エフェクター(2万程度)と答えている。

お金を持つのが恐いという話もしていました。

米津玄師の洋服について

身長がでかいので、合うサイズが少ない。
服は人並みに興味はあると話している。

ハチという名前の由来について

どうしてハチなの?という質問に対して。

色々理由はあったんですけど、なんでですかね笑。
フィーリングですね。なんかまぁ、覚えやすい名前がいいかなみたいな。

ハチはエイトという意味?という質問に対して。

ナナという少女漫画があって、うちのオネェちゃんがすごい好きで、
ナナという名前の人とハチという名前の人が居た。たぶん、
そこから来たんじゃないかな。

と答えている。

米津玄師さんとジブリの関係

小学校の時に、千と千尋の神隠しを観て衝撃を受け、
どうしたらこのような世界観を表現できるのだろうと、
ジブリを作った人が書いた本などを読み漁っていた。

ジブリ好きを公言しており、
ジブリ汗まみれというラジオヘビーリスナーだった。

また、漫画版のナウシカがとても好きでよく読んでいた。
光と闇が両方存在しなきゃいけないんだ。
という事を、漫画版のナウシカから学んだと話していた。

米津玄師さんの曲制作秘話

ここでは、あらゆるところで米津玄師さんが語った、
楽曲制作秘話について書いていこうと思います。
できるだけ米津玄師さんの話した内容そのままに
近い形で書いています。

曲の作り方について

音楽はパッとひらめくんですか?と聞かれて、
パッとひらめくというよりも、性格的に「本当にこれで正しいのだろうか?」
と考えるタイプで、パッとひらめいた後に、もっと工夫できるのでは無いか?
もっといい音楽になるんじゃないか?とこねくり回して、こねくり回して作るスタイル
なので、結局また最初の案に戻ってくることなんて何度もあります。

との事。

ビビ

天才の裏にある努力だね!

また、別の放送にて、

昔は人に分かりやすい音楽というよりも、個人的な自分はこう思う!という
音楽を作り続けていたけど、それで続けてもしょうもないなと思って、
狭いところで狭いところで作っても堂々巡りだなと思った。
今は人に分かりやすいようにおじいちゃんにもおばぁちゃんにも
子供にも分かるような普遍的な音楽を作りたいと思っていると話している。

曲作りの時には、はじめに曲のお話みたいなものを作っているんですか?

という質問を受けて、

米津玄師「お話ではないけど、最初にイメージがあって、ここにこういう建物があって、
どういう人が住んでてみたいな、そういうシュチエーションがあって、そこから広げることが
多いですね」

DJ「じゃあ場所から生まれていく?」

米津玄師「場所というか、光景ですね」

と話している。

別の放送では、過去マンガ家を目指していた時に、
漫画として描きたかったストーリーがいくつもあって、
それを、曲にしている時が多々あるとの事。

スランプの時期

dioramaを作った後に、全然音楽が作れない時期があった。
それでも、前を向いていこうと思う気持ちで、
YANKEEというアルバムを作った。これまで、斜に構えて構えて
来ていたけど、ここでポジティブな感じに転換した。

という様なことを2014年放送分のラジオで話している。

lemon(レモン)について

lemon(レモン)を書いている時に
気分を盛り上げるために聴いてた曲は何か?

という質問を受けて、

米津さんは松任谷由実さんの
「Hello, my friend」(ハロー・マイ・フレンド)に
ものすごく影響を受けて書いている。
コード進行とかも分かる人が聴いたら分かる

と答えています。

lemon(レモン)書いている当時、
昭和のポップソングにものすごくハマっていた時期があり、
小田和正さんや松任谷由実、中島みゆきさんの曲も
とてもよく聴いていたと言っていました。

▼lemon(レモン)を作る上で影響を受けた曲はこちら

ビビ

あー!!!言われてみれば確かに、
雰囲気や曲の盛り上がり方が似てる!なるほどね〜〜!米津玄師さんのフィルターを通すと、
ユーミンの曲もまた新しい色になって輝き出すんだね!すごい

また、lemon(レモン)のテーマは死がテーマになっており、
死についての曲を作っている時に、実際に米津玄師さんのおじぃちゃんが
亡くなったらしく、人の死を思う詩を作っている最中に、実際に肉親が死ぬって
どういう事なんだろう。と思いつつ、一度作ったものをすべてボツにして
作り直したのだとか。また、lemon(レモン)を作る上で、茨木のり子さんの
詩集をものすごい読んでおり、とても影響を受けたと話している。

▼死について書かれた茨木のり子さんの有名な作品がこちら

飛燕(ひえん)について

飛燕は風の谷のナウシカの光景をイメージして
作られたそう。登場人物もナウシカの目線と自分の
目線を重ねているそう。

BREMEN(ブレーメン)のアルバムについて

米津玄師さんがランニングをはじめた時に思いついた曲が、
ブレーメンのアルバムに入っている「アンビリーバーズ」
このアルバム自体は、廃墟になった街の使われなくなった高速道路の上を、
色んな生き物達が、暗い方へ歩いているというイメージがあり、
それが、自分が今住んでいる街が明確にあって、それは、
普段ランニングしている風景を元に作っている。

これが、このアルバムの大元になっている。

ストーリー自体は、

どこかへ行くというよりかは、どこかに向かうというのが、
このアルバムでは重要なワードであって、
ブレーメンってそういう話じゃないですか?今居るところじゃなくて、
ブレーメンに向かって、音楽隊でもやって暮らそうじゃないか?
という話で、それが、今の自分の心情とリンクしたんですよね。
だから、どこかへ向かう。それが不確かなものであろうと、どこかへ向かう。
というものを主軸に置こうと思って作りましたね。

と某ラジオにて話している。

別ラジオで今居るところが疲れて、別の場所に向かいたいという気持ちと
リンクしたと話していることから、

気持ち的に疲れている時だったのでは?と思われる。

まとめ※随時追加していきます

この記事書くのにあたって、1つ1つ丁寧に聴きながら、
抽出して書いているので、ものすごく時間がかかるのですが、
随時追加していきます。

ビビ

ブックマーク推奨だよ!

※最近、当サイトの内容をコピーしてパクリ記事作る人増えているので、
記事内の文章をコピーしたら記録が残るツールを導入しました。
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ビビ

他にも、こんな情報あったよ!とかあったら、
どこで話していた情報なのか?とセットでコメントしてみてね!確認してソース大丈夫そうなら、
イチ米津玄師ファンとして掲載するよ!よろしく

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