本当は放送当時に書きたかった。
このシン・ゴジラ考察と感想。
その当時は、まだこのサイトを
開設していませんでした。
今さら遅いし、地上波で放送された事もあり、
自分が書きたかったこと。誰かが書いてるだろうし、
と思って色んなサイト見てみたら、
ビビ
自分が気付いた点や考察など
同じ方向性で書いてる人が全くいないんです。
ご注意ください。
豪華俳優、女優陣をあえてモブキャラにしたのも
意図がありました。さながらウォーリーを探せみたいな
探す楽しみがありますよね。そうです。
「探す楽しみをわざわざ用意している」
「もう一度じっくりと観てくれ(考えてくれ)」
そこには、そういったメッセージがあります。
わざわざ大量の資金を投入してやるんです。
「なんとなく」と言う方が不自然。
豪華俳優陣と女優陣の広告力、拡散力を
使う狙いももちろんあると思いますが、
やはりもう一度じっくりと観させる意図があります。
今回は考察がメインなのですが、少しだけ感想も書きたい。
次の項では「感想」についてを書きます。
感想は見飽きたよって人はひとつ飛ばしてください。
色んな考察を読んだ人でも、
シン・ゴジラを何度か観た後の人でも、
きっと何かしらの発見がある
記事になっていると思います。
目次(この記事で分かること)
シン・ゴジラの感想
まずは感想から。庵野秀明さん
素晴らしい映画を本当にありがとうございます。
まず浮かぶのが、感謝でした。そして、衝撃。
私は劇場で2回観ました。
この映画をスクリーンで観れた事を
とても誇りに思います。
東日本大震災以降、不安や恐怖が
拭えなかった人も多いと思います。
そんな中でその不安や恐怖の言いようもない
抑圧した気持ちを解放するような、
大きな作品というのは
必ず世に出るだろうと思っていました。
そんな中水爆怪獣として名を轟かせた「ゴジラ」を
モチーフにしたのはとても自然だったと思います。
戦後の日本において初代ゴジラの登場は
相当な恐怖を子どもたちに与えました。
現在の日本においてはどうでしょう?
CG、ゲーム、アニメ。
あらゆる作品が世に出て既に飽和状態です。
そんな中「初代ゴジラ」が登場しても、
きっと「怪獣が街で暴れるだけでしょ?ハイハイ」
という様な反応だったでしょう。
シン・ゴジラを観るまでは、
怪獣が街で暴れるんでしょう?
とちょっとだけ思っていた。
けど、予想をいい意味で裏切られた。
街中のリアルな描写や地を這うゴジラの不気味さ。
映画館ではじめて観た時、初代ゴジラを観た子どもたちと
おそらく同様の恐怖を感じました。
本当に心の底から
「うげぇえええーーキモぉおおーー!!」
という気持ちが湧きました。正直な感想です。
そんな気持ち悪い大きな怪獣が街を
這いずり回りながら歩くその光景と
スクリーンの迫力に負けておののきました。
それぐらいのインパクトを
この作品が飽和した現代日本に居て
与える事ができた事自体がもう大きな功績でしょう。
口から炎を吐き、レーザー光線を出す姿も
言いようのない恐怖で、大きな災害の前では
何もできない。無力だという事を痛感する。
そんな感覚を映像を通して与える事ができた
庵野監督の手腕はアッパレとしか言えません。
初代ゴジラを超えるゴジラを考えてください。
そう言われた時に、このアイデアが果たして出るかどうか?
あれだけ気味が悪い姿、不気味さ、進化するゴジラ、
吐く炎、まぶた。口と背中からレーザービーム。
きっとどれだけ考えても、このシンゴジラには
辿り着かない人が殆どでしょう。
その発想そのもの自体も、カッコイイ。
庵野秀明!!よくぞやってくれた!!
という歓喜も含め、全身が震えました。
感想については、いつまでも書けちゃうので
この辺にしておきます。
初代ゴジラがはじめて世に出た後、
数十年もみなの記憶に焼き付いたと思います。
まさに今回のシン・ゴジラも今後の
日本映画史上に残り何年も語り継がれるであろう
まさに最高傑作でした。
シン・ゴジラに秘められたメッセージ
ここからは、シン・ゴジラに隠された様々なメッセージを
解読していきます。以下の一つ一つの内容を集めていくと
あるメッセージが浮かび上がってきます。
その1:シン・ゴジラが早口の理由
シン・ゴジラが早口の理由ですが、1点は
脚本が長くなり過ぎて通常どおり収録するには
3時間ほどかかる予定だったという話があります。
それが、公開されている情報ですが、
裏の意図があると考えます。
あえて忙しない演出をする事で、
今の日本人の忙しい心境を疑似体験させている
狙いがそこにあります。
これについては、後から書く内容とも
繋がる部分があるので、ここだけ言及しておきます。
その2:総理に防衛出動の決断を迫るシーン
画像出典:映画シン・ゴジラより
この映画には面白いシーンが沢山ある。
総理がはじめて害獣駆除のために
防衛出動を迫られるシーン。
色々な人から防衛出動の決断を迫られます。
右上「在日米軍に駆除を肩代わりしてもらうのはどうですか」
左下「総理、国民を守る事が第一です」
右下「総理、ここは苦しいところですが、
被害の拡大を防ぐためにも承認のご決断をいただかないと」
そこで、総理が
「今ここで決めるのか?!聞いてないぞ!!」
と驚くシーン。
これは、カメラカットもそれぞれ
大臣一人ひとりの顔をアップで映し、
総理目線の映像を強調しています。
またこのシーンだけ総理がやけに困惑しています。
力の無い総理自身の困惑などをあえて描く事によって、
総理と同じ立場になった時に、
あなたならどう動くのだろう?と
視聴者に自分ごととして
問いかけさせる意図があります。
また、このシーンは、エヴァ初号機に乗る際に
主人公碇シンジが問いかけられたシーンとも
似ています。
画像出典:アニメ エヴァンゲリオンより
エヴァでは赤木リツコ博士(左)や
葛城ミサト、碇ゲンドウに
乗るのか乗らないのか決断をしろ
と半ば強引に迫られます。
碇シンジは「見たことも聞いたこともないのに出来る訳ないよ」
と言います。
さすがに、総理大臣が碇シンジのように
アタフタするのは不自然なのですが、
あえて強調する演出をしているのは確かなので、
視聴者への意図したメッセージを込めていると共に、
エヴァを多少意識している部分はあると思います。
また庵野秀明監督は、断片的に
メッセージを散りばめる手法が得意です。
この内容も断片的に混ぜたメッセージの一つ。
後の方で、全てピッタリ一つの結論にまとまるので、
今はここだけの説明にしておきます。
庵野秀明監督はどのような
メッセージを伝えたかったのだろう。
この記事を読み進める中で
自分なりに考えてみると
面白いと思います。
その3:シン・ゴジラのパタースン特使が与える意味
シン・ゴジラの感想で最も不評だった
石原さとみ演じるカヨコ・アン・パタースン。
ルー大柴かよ!とツッコミが入りそうになった人も
多いはず。
実はこのカヨコ・アン・パタースン。
実写版の惣流・アスカ・ラングレーです。
こちらエヴァのセルフオマージュ。
まぁ、言われなくてもって感じですね。
で、この自由奔放なキャラそのものに
メッセージ性があるんです。
矢口率いるメンバーとの会議で
パタースン特使と矢口は以下のような
やり取りをします。(映画42分頃)
パタースン特使
「どうも日本語の敬語が苦手なの、
そろそろタメ口にしてくれる?」
矢口
「では、遠慮なく。米国はゴジラをどうするつもりだ。
研究対象か、それとも、駆逐対象か?」
パタースン特使
「それは大統領が決める。
あなたの国は誰が決めるの?」
と訪ねてこの会議シーンは終わります。
何でも自由奔放に、自分の好きなようにやってきた
カヨコ・アン・パタースンが、タメ口にしてよ。
と言った後で、ここでもまた総理に訪ねた時と
同じように「あなた自身に訪ねます」
国とは言っていますが、明らかに
視聴者の一人ひとりに訪ねているシーンです。
あなたは「生き方を」決断できているのか。
そのような問いかけがこのキャラクターそのものに
隠されている訳です。
庵野秀明監督にしては、かなり分りやすい
メッセージです。
その4:パタースン特使と矢口の会話に不思議な点が
屋上で矢口とパタースン特使が会話する中で、
明らかに不自然な箇所があります。(1時間32分7秒のシーン)
屋上で二人は以下のようなやり取りをします。
矢口
「牧元教授はこの事態を予測していた気がする。
彼は荒ぶる神の力を解放させて、試したかったのかもしれない。
人間を、この国を、日本人を。
核兵器の使用も含めて、どうするのか、好きにしてみろと」
パタースン特使
「そうねぇ。あなたに好きにしてみろと……。
けど、この国で好きを通すのは難しい」
矢口
「あぁ、僕一人じゃな」
気付きましたか?この違和感。
矢口は人間全体、国全体、日本人全体に向けて
好きにしろと言いたかったのかもな。
という方向性で話していますが、
なぜだか、その次の返しでパタースン特使が
「あなたに好きにしてみろ」と言っています。
これは紛れもない視聴者へのメッセージです。
その1〜その4までに色々と仕込んだ
隠されたメッセージがこの
パタースン特使の台詞で浮き彫りになります。
これは、庵野秀明からのメッセージ。
そして、パタースン特使が「この国で好きを通すのは難しい」
とわざわざあえて神妙な面持ちで言っています。
「この国」と言っているという事は、パタースンの視点だと
「私の国では好きを通して生きられるけどね」と
言っているようなものです。
先ほど書いたパタースン特使に隠されたメッセージの
裏付けがここで証明されます。
また、これまで、自分の好きを通して
振る舞ってきたキャラとしては似つかわしくない台詞です。
「タメ口にしてくれる?」とか
なんとかガンガン「好きな様に生きる」
を選んできたパタースン特使が
「この国で好きを通すのは難しい」なんて
神妙な面持ちでその台詞は言わないでしょう。
好きな様にして失敗したシーンなどが前後にあれば
また別ですが、それもありません。
惣流・アスカ・ラングレーよろしく、
「アンタバ●ァ?」的なテンションで
好きについて語るのなら、まだわかります。
どうしても違和感が在りすぎるこのシーン。
庵野秀明がメッセージとして伝えたかったからこそ、
このような微小な違和が出てしまった。
そんな貴重なシーンになっています。
ここまで書いたらもう色々と
気付いている方も多いですねw
ビビ

その5:決断を迫られる内閣総理大臣臨時代理
総理の臨時代理補佐官として
動いていた泉修一。
総理大臣臨時代理に
「矢口プランの問題点は解決に向かっています。
実行の承認をお願いします」
と頭を下げてお願いします。(1時間32分48秒のシーン)
それに対して総理大臣臨時代理は、
「泉ちゃんだって、我が国の立場は分かってるだろう」と返答。
その後、以下のようなやり取りをします。
泉
「ですが、総理、自国の利益のために他国に犠牲を強いるのは覇道です」
総理大臣臨時代理
「我が国では、人徳による王道を行くべきという事か……。」
赤坂大臣(竹野内豊)
「総理、そろそろ好きにされたらいかがでしょう」
なんと、またまたここでも決断を迫られる訳です。
そろそろ好きに生きたらどうだい?
というドストレートなメッセージ。
これまで、散々矢口に「上の言う事に従え」
「好き勝手するなよ」と言っていた赤坂が
まさかの総理大臣へ「好きにしなよ」と問いかけます。
庵野秀明監督のクセでしょうか。メッセージが
込められたところに、ほんの少しの違和が残ります。
その6:カヨコ・アン・パタースンの決断
こちらは飛行機の中でカヨコ・アン・パタースンが
会話しているシーンです。(1時間36分08秒のシーン)
パタースン特使は、核兵器使用の回避を促そうとします。
そこで、相手から
「核兵器使用の人達の
意向に背く行為だ。私もお前も
報復のリスクを負うし、
経歴とパタースン家にも汚点が残る。
40代で大統領になる夢が消えるぞ」(ザックリ翻訳)
という様な事を言われます。
ここでも決断を迫られていますね。
冒頭からみんなそれぞれ決断を迫られすぎです。
明らかなメッセージです。
この内容は、パタースン特使にとって
とても重いものです。
自分の本音は日本を救いたい。けど、
夢は消えてしまう。
どちらを選べばいいのだろう。
彼女は自分の本当に今やりたい事を選びました。
その7:矢口が選んだ最後の選択
映画の最後の最後のシーン。(1時間52分32秒から)
あのゴジラのしっぽ問題は後ほど
書くので一旦置いておいて、
物語の終盤でパタースン特使と矢口は
屋上で話をします。
パタースン特使
「あなたの手段を選ばないところ、
気に入っている。だから辞めないで。
私が大統領の時に、矢口が総理になるのが
理想的なビジョンだから」
矢口
「理想的な傀儡(かいらい)だろう。
結果はどうあれ、多くの犠牲者を出した。
その責任を取るのが政治家の仕事だ。
政治家の責任の取り方は、自らの身体だ。
自分の責任は自分でとる」
※傀儡(かいらい)=人の手先となって思うまま使われる者
パタースン特使
「まっ、牧と同じく、好きにすれば」
矢口
「だが今は辞める訳にはいかない。
事態の収束にはまだ、程遠いからな」
なんとここでも「好きにすれば」という
メッセージが出ています。
「人生自分の本当にやりたい事を選んで、
あなたの好きな様に生きてね」と。
ちゃんと1個1個抽出していくと、
かなり庵野秀明監督の言わんとしていること
が浮き出てくると思います。
庵野秀明のメッセージは分かりづらいと
言われていますが、
だいぶハッキリ分りやすいです。
ただ、メッセージが散りばめられ過ぎて
いるので、見つけづらいという感じですね。
その7:シン・ゴジラの物語を動かした人達の共通点
庵野秀明監督は、一貫して同じメッセージを
発信し続けていますが、
それは、シン・ゴジラの物語を動かした
人達の共通点にも現れています。
尾頭 ヒロミ
市川実日子演じる尾頭ヒロミは、
自分の案を馬鹿にされても
屈することなく自分の本音で思った事を
伝え続けました。この尾頭ヒロミの存在が
ダメな政府との対比構造になっています。
矢口
矢口の場合は、上からの圧力があっても、
何を言われても、自分の本音で生きることで
問題解決していきました。
また、「防災服と原稿を用意してくれ」と言った
総理とスーツのまま総理よりも遥かに多くの物事を
解決した対比構造もおもしろいです。
着替えなかったスーツ含めて意図的にやったのかな?
と思いました。
内閣総理大臣代理
平泉成演じる総理大臣代理は、
最初は自分に嘘をついて生きていましたが、
腹をくくって「自分の本音で生きる」ことで、
フランスを説得する事に成功し、核発射までの
時間を伸ばす事に成功しました。
パタースン特使
カヨコ・アン・パタースンは、
将来の夢を捨ててまで「今の自分に
本音で生きる」ことで、出来る限り
日本を手助けしました。
この様に、「自分の本音で生きる」人が
多くの結果を残しています。
また、最後の方で矢口の行動が響いたのか
赤坂大臣が国を守っていくという趣旨の発言をしており、
多少心に変化があったのかなと思います。
「自分の本音で生きろ」これがまず
庵野秀明が伝えたかったメッセージの1つです。
そして、気になっていたであろう。
牧元教授の真相について次は言及していきます。
シン・ゴジラ牧悟郎教授の真相
(1時間27分28秒のシーン)
牧教授はどんな経緯でどこへ行ったの?
まずは、簡単に牧教授とゴジラの
コレまでの関係や流れを列挙していきます。
映画の中で主にパタースン特使やその他
出演者が話す牧教授の情報をまとめるとこうです。
※結論を知りたい方は飛ばしてください。
- ゴジラの存在を数年前から預言していた人物が牧教授
- 放射性廃棄物をエサとする生物の存在に気付いた
アメリカ合衆国エネルギー省(DOE)が
専門機関に調査を依頼。その中心人物が牧教授 - 牧教授が米国に残したデータには意図的な空白があった。
遺品の紙データと合わせると完全になるらしい - 現場で回収された放射性物質を解析したら、ゴジラの体内に未知の新元素が
ある事が確認される。 - 教授は唯一の救いであった自分の妻を死に追いやった放射性物質を憎んでいた。
だから放射性物質を無害化する実験を繰り返していた。
放射性物質の無害化が可能という事は、
新たな放射性物質を作り出す事も可能。後に軍事利用されることを危惧した。
そのため、意図的にDOEのデータに穴を作っていた。 - 放射性物質を憎んでおり、それを生み続けた人間そのものも憎んでいた。
妻を見殺しにした日本という国も
上記画像にある牧教授の詳細が書かれた情報を
文字起こしすると以下になりました。
文章が隠れていたり、見えない部分は
「〜〜」で書いています。
上で列挙した情報にちょっと毛が生えたぐらいの
情報なので、興味のない人はスルーしてOKです。
一応載せときます。
上記の通り生物学分野の権威であり、
特に放射性物質について研究を続けており、
日本だけでなくアメリカでも活躍していた。
近年はアメリカに移住し研究を進めていた。
アメリカ合衆国エネルギー省(DOE)からの依頼で、
放射性物質を餌とする生物の研究を進めている。
DOEでは、それが巨大不明生物であると
結論付けられている
映画では次のページをめくります。
そこにはこう書いてあります。
〜〜放射性物質と強く結びついており、周囲の人間には
「放射性物質を〜〜と話していたことがわかっている。
そのことから、近年では放射性物質を無害化する研究を
続けていた。しかし、研究を続けることで、
無害化する〜〜で新たな放射性物質を作り出してしまい、
軍事利用されてしまうことを危惧した対〜〜は、
その研究資料をDOEにも提出せず発表もしなかった。
〜〜〜の足取りはつかめておらず、
11月3日以来行方不明である。
〜〜も確認されていない。
以上が対象者の身上報告である。
牧教授はゴジラに取り込まれたのか?自殺したのか?
で、結局どうなったの?って感じですが、
結論を言うと、牧教授は自殺しました。
そして、ゴジラに取り込まれてしまいました。
ネットでは自殺したのか?ゴジラに取り込まれたのか?
などなど色々な憶測が飛び交っていますが、
映画の中ではとても見落としがちなんですが、
明らかな証拠があります。まず、映画冒頭の場面。
演出ミスから読み取る牧教授が自殺した証拠
まず、一見するとスルーしがちですが、
とても不自然な事があります。
船を調べようとした隊員が、
「すみませ〜〜ん誰か居ますか?」と声をかけて
船内を捜索します。しかし、おかしい。
「すみませ〜〜ん誰か居ますか?」と声をかけて
船内へ進みます。この一声で、この部屋の中に
入ったのは今回がはじめてだという事が分かります。
船には、他にいくつものドアがあり、
トイレもあれば、部屋が他にあります。
それにも関わらず、隊員の一人はこう言います。
室内にいる隊員A「すみませ〜〜ん誰か居ますか?」
外に居る隊員B「フライングデッキに人は居ません」
室内にいる隊員C「船内は無人の模様。遺留物あり」
いやいやいや、ワイも最初は気付かなかったけど、
おかしいでしょ。他にも部屋があり、
捜索しきっておらず、一度部屋を
チラッと見ただけで「遺留物あり」と
断定してしまっています。
映画の尺上や演出の関係で
断定が早まったのかもしれませんが、
断定するのには早すぎます。
靴がキレイに揃えられているのも含めて
やはり牧教授は自殺してしまった。
と決定付けるのが自然です。
牧教授がゴジラに取り込まれた証拠
シン・ゴジラの中で牧教授について
みんなで考えるシーンがあります。(1時間27分58秒)
その中でこれまた不自然な事を言います。
矢口の台詞です。
「彼は放射性物質を憎んでいた……。そして、それを
生み続けた人間そのものも憎んでいたんだろう……。
妻を見殺しにした、日本という国も」
こちらも見落としがちですが、かなり不自然です。
先ほど載せた牧教授の詳細が書かれた画像の資料を
読んだ後に矢口が言う台詞です。ページもパラパラとしか
めくっていません。
「妻を見殺しにした日本」というストーリーに
結びつくような内容は何も書いてなかったし、
「放射性物質を憎む→人間も憎む→日本も憎む」
という流れになんの繋がりもありません。
では、なぜわざわざこの台詞を入れたのでしょうか?
そこには明確な意図があります。
ビビ
明確な意図、それは「牧教授がゴジラに取り込まれた」ので、
人間や日本を憎む設定にしないと、あとあとで
辻褄が合わなくなるから。
です。
ゴジラが東京ばかりに歩いていく根拠になります。
そして、次のシーン。
1時間28分14秒のシーン
映画の中で矢口が小さな声でボソボソと
「彼は何を好きにしたんだ……?」と言うシーンがあります。
一瞬しか出てこない場面なので、
こちらも見逃しがちです。この台詞を言った後に、
次のシーンうつります。こちらも一瞬しか出てきません。
映画ではとても暗くパッと見分かりづらいシーンなので、
多少明るくしています。
彼は何を好きにしたんだ?
と言った台詞のすぐ後に3秒ぐらいのカットで
このゴジラのしっぽが出てきます。そして、
上の画像あたりまでしっぽが来た時に
「ピキッ」と音がなるシーンが入っています
これは、牧教授がゴジラに取り込まれた事を
意味するシーンです。
また、他にはこんなシーンもあります。
(41分14秒)
パタースン特使が牧教授について説明しているシーンです。
こんな台詞を言っています。
「水性生物から陸上生物への急激な突然変異……。
今のガッズィーラはDOEの情報を超えた状態で
私にも説明がつかない」
これも大分不自然な話です。DOEが長年研究していて
いきなり起きた突然変異です。
こちらも、「牧教授がゴジラに取り込まれた」のであれば、
あえて脚本に入れる必要があります。
上記の演出や脚本から読み取る証拠をまとめると
ゴジラを以下のように仕立てたいのが分かります。
- 牧教授は放射性廃棄物を食べる生物に取り込まれる形で自殺を選んだ
- 牧教授が放射性廃棄物を食べる生物に取り込まれたので、長年の研究では
おきなかった突然変異が起きてゴジラになった。 - 牧教授は人間や日本そのものを憎んでいる
- なので、東京に何度も訪れた
これが、上記決定的な証拠をあつめた内容です。
パンフレットでは放射性廃棄物を食べる生物として、
ゴジラ第0形態である大型の深海魚のようなものが
ゴジラの元だと説明されているようです。
こちらがその深海魚。ラブカと言います。
これが蒲田くんのモデルになった深海魚ラブカか pic.twitter.com/i8dDzQKZKe
— 雅(みやび)@戯雅 (@Galakuta09) November 10, 2016
ゴジラの進化前にそっくりですね。
そして、遺留品としてテーブルに置かれた
宮沢賢治の春と修羅という詩集の代表作の中に
こんな台詞があります。
「おれはひとりの修羅なのだ」
牧教授はゴジラに取り込まれた。
これで間違いありません。
春と修羅から読み解くメッセージは
後の章で解説します。
この記事の内容を後から追っかけやすい様に、
各シーンに、本編の何時間何分頃。
というシーンの目安が書いてあります。
ビビ
U-NEXTなら31日以内に登録解除すれば
▼無料でシン・ゴジラ観られます
「私は好きにした 君らも好きにしろ」の意味
これを読み解くには、遺留品にあった
春と修羅を読み解く必要があります。
ここに映っている1冊の本が、
宮沢賢治著の「春と修羅」です。
せっかくなので、春と修羅の中で
代表的な詩を載せておきます。
春と修羅はとても面白い詩で、
宮沢賢治が妹を亡くした後に
自費出版で出した詩です。
牧教授の妻が亡くなった事とも繋がります。
彼はこれを「詩」では無く、
心象スケッチだと述べています。
なので、普通の詩と違って、
詩の中に「かっこ」で閉じられた
文章があったりとても斬新な作りになっています。
難しい漢字があるので、漢字の横には
このタイプの→〈かっこ〉で読みを書いてます。
その他のかっこは元々の詩そのまま書いてます。
春と修羅
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲〈てんごく〉模様
(正午の管楽〈くわんがく〉よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し〈つばきし〉 はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路〈めぢ〉をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃〈せいはり〉の風が行き交ひ
ZYPRESSEN〈糸杉〉 春のいちれつ
くろぐろと光素〈エーテル〉を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで啼く〈なく〉その春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN〈糸杉〉 しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る〈きる〉
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN〈糸杉〉 いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
とても面白い詩ですよね。
このかっこの中はこころの中の声を
表現しています。
また、気付いた人が居るかもしれませんが、
シン・ゴジラのストーリーとかなり似てます。
四月の気層のひかりの底を
唾し〈つばきし〉 はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
唾しとはつばを吐くという意味です。
怒りの苦さが消えないまま、4月の気層のひかりの底を
唾を吐きながら歯を強く擦り合わせながら
行ったり来たりしている。
俺はひとりの修羅なのだ。
っと叫んでいる。まさにゴジラそのものです。
この詩やこれまでの映画のメッセージも含めると、
「私は好きにした 君らも好きにしろ」
という牧教授が残した言葉には、2つの意味合いがあります。
牧教授のメッセージ
ひとつ目は牧教授がこのメッセージに託した意味合いです。
これまでの内容から読み解くと以下のようになります。
大事にした結果、ゴジラになった。
君たちが自分の思いを
大事にした結果、私を殺しても
私は構わない。それでも、
自分の好きを選択しろ。好きにやれ。
これが、主に牧教授の伝えたいこの言葉の意味合いです。
庵野秀明が伝えたかったメッセージ
牧教授以外にも、庵野秀明が
このメッセージに込めた意味もしっかりあります。
昔ながらの変わらない体制や
「この国で好きを通すのは難しい」というメッセージ含めて
ゴジラのこれまでの様々なメッセージ性と
合わせて庵野秀明が伝えたい事をまとめると
以下のようになります。
その現状、社会の常識、悪習慣。
それらに唾を吐きつつも、
歯を擦り合わせながらも
怒りと悲しさを胸に秘め、
日々行ったり来たりを
繰り返しているだろう。
上の言うことに従って、自分に嘘をつく。
そんな生活が続けば、
核を使うような日も来るのかも知れない。
最悪な事態も来るのかもしれない。
苦しい現状だけど、それでも、
諦めずに前を向いて欲しい。
私達日本人ならまだまだやれるはずだ。
一人で立ち向かう事が困難な時は、
協力して助け合って突破する。
それが、私達にはできる。
私達はまだまだやれるはず。
一歩踏み出すのは、とても恐い事だが、
その恐怖(ゴジラ)を受け入れ、
共存することで、私達はさらに
進化することができる。
そして、私自身このゴジラには
大衆受けするような要素はできるだけ排除し、
自分の好きな様にやった。
これが、どんな結果になるか、ヒットするかも
分からない。
けど、それでいい。
私は好きにやった。
君らも自分の本音に従って、
直感の赴くまま、好きにやったらいい。
今書いたこの文章には、この映画の
主要なメッセージが全て入っています。
庵野秀明はこの映画が公開されるまで、
ヒットしないだろうなと思っていたらしいです。
庵野秀明は大衆向けにシン・ゴジラを作るのでは無く、
エヴァとの共通点をあえて持たせたり、
飛行機の名前を執拗に書いてみたり、
かなりオタク向けに作っているのが分かります。
けど、自分の好きを追求した結果、大成功しました。
この正解を、背中で見せたのはかっこいいですね。
好きな様に生きろ!と言って、シン・ゴジラという映画が、
実際に大成功するところまでが、庵野秀明のメッセージです。
また、ゴジラは東日本大震災のモチーフだ。
という事をいろんな人が言っていますが、
庵野秀明がゴジラに込めたのは「心の中の恐怖や恐れ」
という様な概念です。
庵野秀明は、表向きにはちゃんと
東日本大震災とその震災における日本の復興や
まだまだ日本がんばれ
というメッセージを災害などになぞらえて
発信している様に思えますが、
春と修羅の宮沢賢治が詩ではなく、
これは「心象スケッチ」だ。心の中の風景の事だよ!
とトコトンこだわったように、
ちゃんと読み解いていくと
庵野秀明はゴジラを
「それぞれが心の中に持つ恐怖や恐れ」
と定義している事が分かると思います。
庵野秀明監督はメッセージを外面、内面と分けて発信しつつ、
ちょうどそれらが矛盾なく交わる様な感じで、
メッセージを隠して盛り込んでいるので、
読み取るのが難しいと感じてしまいますが、
その内容自体はドストレートで
おっちゃんが熱く語るようなグッと来る
メッセージになっています。
また、この春と修羅の詩の中の
「かっこ」の部分がゴジラから見た実際の映像描写。
その他の部分が、教授の心境にもなっていて、
まさに教授がゴジラに取り込まれたものの、
まだ教授としての意識が残っているような
そんな表現としてうまくこの心象スケッチを
活用していて、天才過ぎるなと思います。
ゴジラのモチーフは心の中の恐怖
ちょうど、庵野秀明がゴジラを「心の中の恐怖」
と定義している証拠の演出があるので、そちらも紹介します。
巨神兵から読み解くゴジラのモチーフ
2012年ですが庵野秀明が「巨神兵東京に現る」という
特撮短編映画を発表しています。
ストーリーは急に巨神兵がやってきて、
東京が滅ぶというシンプルなストーリー。
約10分ほどの短編映画ですが、
そこでは、神とは何か?の概念が説明されています。
そこでは、林原めぐみのナレーションで
以下のような内容が語られます。
創造主ばかりが神ではない。
自分の願いや祈りを聞き届け
叶える存在だけが神ではない。
大きな最悪が人間と似た形で
空から降りてきて 私達には分かる
恐れこそが神の本質なのだ。
だから、自分達に危害を加え、
命を奪おうとするものにも手を合わせ
膝を折り、拝み、祈る。
庵野秀明が自分の好きを追求して
作ったこの短編、通づるものはあると思います。
ここでは、ハッキリと神とは恐れの事だ。
と言っています。
住民を守るために攻撃を中止したシーン
(26分41秒のシーン)
このシーンにもメッセージがあります。
この場面では、ゴジラに攻撃しようとしたところ、
ゴジラの直線上に住民が残っており、
攻撃するかどうかを総理に訪ねたところ、
攻撃を中止するというシーンです。
ゴジラは「心の中の恐怖」としての
モチーフだと書きましたが、なぜか
このシーンでこれまで動き回っていたゴジラが
ピタリと止まります。
このシーンのメッセージは、
「ゴジラ=心の中の恐怖」を迎え入れるか?
どうか?という問いかけです。
この場面では、心の中の恐怖を受け入れる(住民を守る)
を選択した事により、ゴジラは何も攻撃せずに
立ち去りました。
ゴジラは恐れと向き合うのか、向き合わないか?
をジッと見ていた訳です。
シン・ゴジラのデモ隊の謎
(45分28秒のシーン)
こちら映画の中でデモが行われているシーンです。
なかなか気付きづらいのですが、
耳を澄まして聞いてみると
「ゴジラを倒せ」
「ゴジラを守れ」
「ゴジラは神だ」
と言っているシーンがあります。
このシーン、なんだろう?と思った人も居ると
思いますがこれまで考察してきた内容を
まとめてみると、これこそ心象風景そのものです。
翻訳すると以下のようになります。
いやいや、恐怖を受け入れろ(ゴジラを守れ)
ゴジラは恐怖だ(ゴジラは神だ)
それぞれが持つ心の中の迷いや
葛藤で揺れ動く様を描いている訳です。
シン・ゴジラのしっぽの謎について
こちらもう少し情報を付け加えておきます。
先ほど書いたように、牧教授はゴジラに
取り込まれました。だからこそ人の遺伝子が
ゴジラに入り、次の進化では無性生殖での
個体増殖という感じで人型へ増殖進化する様になります。
こちらがゴジラの尻尾から
次に進化しようとしていた形態です。
(▼スマホでクリックした場合はこのページ閉じちゃうので、後から見てね)
『シン・ゴジラ』の尻尾はその形容し難い禍々しくも悍ましいビジュアルもさることながら、絶望的な想像しか出来ないのが良い pic.twitter.com/wbiyw4RVqs
— 共食いゾンビ (@MOGUMOGU_shark) December 16, 2018
また、先ほど書いた矢口の「彼は何を好きにしたんだ?」
と言った後、ゴジラのしっぽが映り、ピキッとなる場面。
そういったものも考慮して次の画像を見ると
取り込まれた牧教授がしっぽ部分にあらわていると見て
間違いないでしょう。ゴジラ次の進化形態に目はありませんが、
なぜか、ここだけ目があります。
(▼スマホでクリックした場合はこのページ閉じちゃうので、後から見てね)
シン・ゴジラ第5形態って眼があるんですよね…牧博士の目って聞いたことあるのですけど真相はいかに… pic.twitter.com/eTkMwbgV1G
— 緋雪 (@DRS_Hyk1109) December 18, 2018
また、先ほど書き忘れたのですが
宮沢賢治の春と修羅の詩は、
このように、文字がガタガタと
波打っています。原文そのまま載せても、
ブログの仕様上、文字の改行が反映されないので、
画像で載せます。
▼原文ままの改行はこのような感じです。
この様に蛇行しています。
庵野秀明はこの詩の内容と
ゴジラの尻尾も同時に掛け合わせています。
すごいですよね笑
シン・ゴジラの小ネタ
シン・ゴジラには様々な小ネタが隠されています。
全部挙げていく事も可能ですが、長くなりそうなので、
簡単に書きます。
シン・ゴジラとエヴァの共通点その1:尾頭ヒロミの台詞
市川実日子演じる尾頭ヒロミ。
ペラペラと早口でいい役を演じてくれました。
この尾頭ヒロミの台詞。
「ゴジラより恐いのは私たち人間ね」
という台詞がありますが、(1時間22分57秒のシーン)
こちらエヴァのセルフオマージュです。
新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air
「まごころを、君に」第25話にて
11分39秒のシーンで冬月ゲンドウが
「やはり、最後の敵は同じ人間だったな」
という台詞を言います。
他にも女性キャラが同じような台詞を
言っていた記憶があったのですが、
探せずじまいでした。
シン・ゴジラとエヴァの共通点その2:時計がエヴァ風
高良健吾演じる志村祐介が
「あと●日か〜」みたいなつぶやく場面があり、
ほんの一瞬しか映らないのですが、その後
このカウントダウンタイマーを見ます。
こんな時計?タイマー普通売ってませんw
一応、色々調べてみましたが見つかりませんでした。
こちらもエヴァのセルフオマージュと見ていいと思う。
このシーンのみメモしておくの忘れて、
登場シーンの時間をメモするの忘れました……。
シン・ゴジラとエヴァの共通点その3:その他
その他小さなポイントが色々あります。
飛行機が並んで飛ぶシーンも、
エヴァと似たシーンがあります。
音楽もエヴァの音楽ですし、
カヨコ・アン・パタースン=惣流・アスカ・ラングレー。
尾頭ヒロミ=高木リツコ
などをイメージしていると思われます。
また、最初に書いた総理に迫るシーンは
シンジに迫るシーンと一致しています。
シン・ゴジラのヤシオリ作戦と
エヴァのヤシマ作戦も、
何してもダメージを受けない
絶望的な敵に勝つ為に、
日本中の力を借りるという点で一致しています。
他にもありますが、この辺にしておきます。
ヤマタノオロチとの関連
ヤマタノオロチの神話では、8つの頭、8つの尾を持つ
大きな怪獣。ヤマタノオロチを倒すために、
スサノオノミコトという戦士が、酒を飲ませて酔わせ、
オロチを倒した。という日本神話があり、
その時飲ませたお酒が「八塩折(やしおり)」というお酒です。
シン・ゴジラではこの名前から
ヤシオリ作戦という名前を付けています。
また、アメノハバキリという剣を使って倒したので、
シン・ゴジラのポンプ車を呼ぶ時は、
アメノハバキリと呼んでいました。
日本神話では、尻尾からアメノムラクモノツルギ
という剣が出てきて、これをアマテラスのねぇちゃんに
献上。このムラクモノツルギが後に使われ、
火攻めを逃れたことから草薙の剣と呼ばれたそう。
全部書いちゃったけど、ヤマタノオロチから
名前をつけています。
船の名前
シン・ゴジラが最初に船の映像から入るのは、
初代ゴジラリスペクトの気持ちが入っています。
初代ゴジラも同様に船のシーンから入っており、
初代ゴジラの船の名前は「栄光丸」。
シン・ゴジラの船の名前は「GLORY-MARU」
直訳すると「栄光丸」になります。
シン・ゴジラのまとめと結論
ここまで付いてきてくれて、ありがとうございます。
この記事を書くのにまるまる4日間かかりましたw
本当は公開当初に書きたかったですが
しょうがないです。
また、これまでの考察で薄々気付いている
人も居るとは思いますが、
宮沢賢治の心象スケッチや、
ゴジラ=心の中の恐れだということ。
デモ隊の心の中の葛藤を表現したシーンなど、
すべて諸々考えると、
このシン・ゴジラそのものが、
心の中で起きている出来事。
つまり、ゴジラというそれぞれの人が
持っている大きな「恐れ」それに
立ち向かう葛藤を描いた心象スケッチ
だと言えると思います。
映画を見ているようでいて、
忙しない日本人のダメさ。
本音で生きる事の迷いや葛藤。
見ているのは実は自分自身の心の中だった。
現実とは虚構そのものですね。
お後がよろしいようで。
ビビ
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記事中の画像は映画シン・ゴジラより引用しております。
何度も見直していて、ふと思いついたのでコメントさせていただきます。
教授の残したデータが解析されるシーン。巨災対の面々がパソコンの画面を覗き込んでいる、という演出がされています。
巧妙となる分子構造が映し出されているはずの立場には、私達観客がいます。
ここから私は、監督が「我々一人一人が現状に対する解決策なのだ」ということを伝えたかったのではないかと思いました(ずっとこのシーンが気になっていたのです。何故ずっと正面からだろうかと)。
このサイトでは詩についても触れられており感激しました。宮沢賢治好きにはたまりません…詩の表記についての部分は震えました。
あれこれ見た考察やら何やらの中で、一番納得できました!!!
自分の中でいろいろ合点がいきました、ありがとうございます
大統領が決める、あなたの国は誰が
のくだりは普通に日本の政治状況への皮肉であって、
一人一人に好きにしろとのメッセージという解釈はおかしい
うーん証拠と断言してる割にほとんど憶測妄想でまったくパッとこない
内容もこれまで考察してきたブログ等の人らの丸写し・パクリ記事
ファンなんだな、とは感じたけどそれ以上はただの信者すぎて気持ち悪いわ
>>匿名さんコメントありがとうございます!
いやどう考えても憶測と妄想ではない証拠を出してるでしょ笑
この記事書いた当初は間違いなくここまで考察してる人は一人も居なかったし、(今現在は知らん)
どの考察記事?も私から見たら考察と呼べるものではなかった。
もし、丸写し、パクリ記事と思うなら、たぶん私の記事を見て誰かがパクって書いたものだろう。
この記事を書くのに5日間?程ガチで何回も繰り返し観返して
考察を重ねたので、
流し読みで勝手に断定する姿勢は非常に心外です。
ってか、別にファンなんだなと思うなら、
ファンなんだな〜って思うだけでいいでしょ笑
わざわざ信者過ぎて気持ち悪いとか記事と関係ないところで
コメントする時点で、
何かしらイチャモンを付けたいだけって証拠なので、
その前の文章も適当に文句言ってるだけなんだろうな。
そんで、あなたのコメントを考察すると、
ファンなんだなと認めている部分がある上で
記事の中身の「こことここが違うと思う」等
中身のところにさえ触れてない。その上で
わざわざ誹謗中傷コメントを書きたくなるって事は、
それ暗に私の記事を認めてしまっているという事ですよ。
せめてコメントするなら
中身のこの部分は私はこう思ったとか、
そういう方向の方がいいと思いますよ。
とりあえずIPバンしておきます。