これまで当サイトでは、
米津玄師の新曲フラミンゴを考察してみたりしましたが、
今回は米津玄師(よねづ けんし)さんの魅力を徹底解明!
日本の音楽界を揺るがす巨人はどのようにして生まれたのか。
米津玄師の曲は?その魅力や私生活などあまり公開されていない
素顔や秘密について迫ってみました。
※topの画像はイラストで描いています
目次(この記事で分かること)
米津玄師のプロフィール
2009年よりバンド活動と平行しながら、ニコニコ動画にて
オリジナルボカロ曲の投稿をスタート。ハチという名義で
「マトリョシカ(1000万回再生)」「パンダヒーロー(600万回再生)」などの
大ヒット曲を次々と生み出し、ネットでの音楽活動が認められ、
2013年よりメジャーデビュー。これまでの動画再生回数は6億回を超え、
ビルボード音楽チャートにて7度の1位、第10回CDショップ大賞受賞。
アニメやドラマ、映画などの主題歌も手がけ、幅広い世代で絶大的な支持を得る。
また、作詞、作曲、演奏、ボーカルから、
CDジャケットに使われているイラスト、アレンジ、プログラミング、演奏、
ミックス、動画制作などに至るまで全て1人で制作し、
イラストレーターとしてのファンも多く、ルーブル美術館の展示でイラストが
展示された事もある。まさに1000年に1人と言っても、過言ではない、
モンスター級のアーティスト。
名前(本名) | 米津玄師(よねづ けんし) |
別名義での活動 | ハチ 蛙屋(かわずや) |
生年月日 | 1991年3月10日(28歳)※2019時点 |
身長 | 188cm ※足のサイズ29cm |
血液型 | O型 |
出身地 | 徳島県徳島市 |
担当分野 | 作詞、作曲、演奏、ボーカル、イラスト、アレンジ、プログラミング、演奏、ミックス、動画制作など |
活動開始時期 | 2009年よりハチ名義でニコニコ動画から活動開始 |
動画総再生回数 | 1億9千万回突破(記事執筆時点) |
生まれた時の体重は4500gだそうです。
ビビ
書こうとしたんだけどね。スゴすぎて、文字がいくらあっても足りないわww 10人分ぐらいの仕事を1人でこなしてるし、
個展とかもひらいちゃってますからね。イラストで。ちょっとヤバスギてなんて言ったらいいのか
ビビ
米津玄師の私生活
せっかくなので、ラジオで話していたトークや、
インタビュー、ライブ配信時のエピソードなど、
米津玄師のあまり公開されていない情報をまとめてみました。
米津玄師の食生活
普段は1日1食ぐらいだそう。ご飯を食べるのが面倒くさいらしく、
某ラジオの対談にて、ひとまずそこら辺にあるもの食べられればいい。
という様な感覚でご飯を食べているそう。
基本的にコンビニで適当に買うか、マクドナルドか
ソバを適当に食べる生活をしているらしく、
飯屋に行っても、メニューを一切悩まず、ひとまず
ソバがあればすぐソバを頼み食べる。
という無頓着ぶり。昨日の晩ごはんを聞かれて、
何を食べたのか覚えてなく、
米津玄師の食生活に彩りは無さそう。
ただ、別の放送にて、
過去大阪に足を運んだ時に、
551の豚まんをたまたま食べた時に
美味しかったと話しており、大阪の食べ物で食べたいものは?と聞かれて、
551の肉まんが食べたいと即答している。
また、別の放送にて、
お酒を飲みながらラジオ放送するという番組にて、
米津玄師さんが持ってきたおつまみが、
「博多なかなか」の乾燥めんたい。明太にチーズが入っている。
食べ物で、どこかのバーでたまたま食べた時に衝撃的な美味しさだったらしく、
ビールにめちゃめちゃ合うのだとか。
▼こちらから見れるよ
旅行 帰省土産 博多なかなかドライ 明太&チーズスティックタイプドライ燻…
ビビ
って気になるね!うまそうだった。
米津玄師の断捨離グセ
よくネットで本を買うらしく、溜まった本は
すぐに捨てるとの事。捨てる行為がすごく好きで、
断捨離が気持ちいいとの事。要らない本は躊躇なく
バッサリ捨てるとか。
米津玄師の音楽をはじめたきっかけ
小学校5年生の時に実家にインターネットが開通し、
そこで、インターネットの向こう側で
FLASHアニメが流行っていて、
どこぞの誰かも分からない人が、
既存のアニメに音楽をつけて流す
という文化が作られていて、それを、
はじめて観た時に「音楽ってこんなにいいものだったんだ」
と衝撃を受け、その体験が
音楽はじめることになったきっかけ。
当時
米津玄師の音楽原体験
米津玄師さんが生まれて始めて買ったCDは、
小学校3年生ぐらいの時に「だんご3兄弟」が爆発的ヒットし、
これまで音楽を聞かない生活をしていたが、お小遣い握りしめて、
自分のお金で買ったとのこと。
このだんご3兄弟が音楽の根底にあり、ここから、
自身の音楽が発展したと答えている。
▼ちなみにだんご3兄弟はこちら
ビビ
そこから、一旦音楽から離れたが中学生時代に
スピッツやBUMP OF CHICKEN、RADWIMPS、
アジカンなど日本J-POPやロックバンドを中心に聴き、
作詞などものすごく吟味していたといいます。
そこで、オリジナル作品を作りたいという気持ちが強くなり、
オリジナル曲を作りまくっていた。
最初はギターで曲を作ろうと思ったが、いい音を録れる録音環境ではなく、
ギターをパソコンにつないでもペラペラの音しか撮れなかった。
そこで、とりあえずギターは置いておいて、打ち込みで音楽を作った。
パソコンの配線などがゴチャゴチャしているのが苦手なので、
打ち込みよりも、最終的にギター1本でシンプルに音楽を作りたい
という気持ちもある。
と話している。
米津玄師が人生で初めて作った歌
当時NHKの「みんなの歌」が好きで、14歳当時
ギターを買って1週間以内に適当に作ったオリジナル曲が、
「えのぐの歌」という歌。
当時のデータ等は残っていないが、
どんな歌だったか?というのは、今でも覚えているとの事。
学生の時に聴きまくったバンド(バイブル的なアーティスト)
学生の時に熱中して聞いてたバンドは、
Vampire Weekend(バンパイヤ・ウィーケンド)のデビュー・アルバム。
初めて聴いたのが、18、19歳ぐらい。スカスカでヘナチョコな感じに
聴こえるけど、独創的でメロディが美しくて、スカスカかと思いきや、
必要な音しか鳴らしていない合理性だとか、そういうのを一番最初に聴いた時に、
とんでもない衝撃を受けて、このアルバムはものすごく聴きました。
バイブル的なアルバムです。
とラジオで話している。
▼Vampire Weekend(バンパイヤウィーケンド)の曲はこちら
米津玄師の人生を変えたアーティスト
平沢進がニコニコ動画で神格化しているのを観て、初めて聴いた時に、
本当にこれまで聴いたことない曲ばかりで、中でも
MOTHERという曲は本当に聴いた事ないような新しい音楽なんだけども、
どこかに懐かしさとかを宿している。そこには何か普遍的な何かがあるんだろうな。
と思ったし、ものすごいバランス感覚で成り立っている音楽だなと。
これを聴いて、自分の音楽でもバランス感覚を大事にしようと思えた。
とても尊敬するアーティストという話をしている。
▼平沢進のMOTHERはこちら
米津玄師に影響を与えたアーティスト
トーキングヘッズのリメイン・イン・ライトというアルバムが
影響を与えたそうです。これも、学生時代18、19歳の時に、
聴きまくっていたのだとか、確かに音の使い方が、
米津さんが使うクェッ音のような部分が少し垣間見えるような気がします。
米津玄師がはじめて買ったギター
ラジオにてどうやって最初に楽器を選んだ?
という質問をされて、
「やっぱり好きなアーティストが何をつかっているのか?
掘り下げていくのが手っ取り早い方法だと思うけどね」
と話しており、
その後、
じゃあ米津玄師くん的には最初の憧れとか、
好きなアーティストは誰だったの?
と質問されて、
BUMP OF CHICKENの
藤原 基央(ふじわら もとお)さんが
当初とても好きで彼が使っているギターが
レスポールスペシャルというギターで
とても高かったので、そのギターの形に似た
2万円ぐらいのギターを購入して使っていた。
と話している。
ビビ
持っていたギター。
確かにめっちゃ高い……。
米津玄師さんは
「最初はじめる時は別に
音の良し悪しとか考える必要ない。
ほんとに見た目、格好いいか、
格好良くないかすごい大事」
と話している。
米津玄師の学校生活
大阪で美術系の専門学校に行ってたらしく
どんな専門学生でしたか?と聞かれて、
学生としてはしょーもない学生で、
学校から絵の技術なども学んだことはなく、
何しに学校行ってたのか?と聞かれたら、
ほぼ遊びに行ってたので、学校の憩いの場みたいな
休憩スペースでひたすらモンハン(ゲーム)と卓球をやる
ような学生だった。
と話している。
この頃も、中学校から続けていたバンドをやっており、
文化祭などでオリジナル曲を披露していたとの事。
当時、メンバーがあまり居なく、米津玄師さんは
ボーカル・ギター担当だったが、ベースが居なかったので、
ベースを弾きながら歌っていたと話している。
バンド活動は、あまりうまく行かなく、
メンバーとの温度感の違いを感じた事と、
1人でやるのが好きだったのもあり、
家にパソコンが来た事から、1人で音楽作れる環境もあった。
そこで、ボーカロイドに出会って、作ったら
すごい楽しくなって、のめり込んでやっていたとの事。
中学生時代はウェイウェイ騒ぐタイプではなく、
宮沢賢治などの本を読んで静かに過ごすタイプだった。
昼休みはイヤホンをつけて音楽を聴いている事も多く、
昼休みに教室が騒がしかった時に、いきなり
バーン!と机を叩いて教室を出ていった事が
あったそうです。
米津玄師の学生時代の写真
高校生の頃の写真でてきた。2007年。めちゃ懐かしい。 pic.twitter.com/8kAoUVSTRd
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) October 20, 2015
部活してた?という質問に対して
中学校の時は、テニス部だったとの事。
たまに野球などのスポーツを観るらしい。
米津玄師の卒業アルバム流出について
これ、どうなんでしょうか。
とある週刊誌が米津玄師さんが
隠し続けた卒業アルバムが流出させた件ですが、
個人的に米津さんのファンとしては
これは、安易に広めたり、拡散させたり、
記事にしたりするのはNGだと思っています。
少し上に米津玄師さん自身が公表した
学生時代の写真がありますが、
そういったものであれば、
本人が出しているのでいいと思いますが、
わざわざ、本人が隠していたものを
表に出してコメントするのは、
ファンとしてどうかなと思ってしまいます。
学生時代は
「俺は将来、絶対売れるんで写真を残したくない」
と言っていたそうです。
ナゾの男
この記事の情報は全て米津玄師さんが
ラジオやテレビなどで語った情報です。
隠しているものは、そのまま
隠したままでいいのでは?
っと思いました。
米津玄師の金銭感覚
財布は見せるのをためらうぐらいボロボロで、
財布の中にいくら入っているのか毎回確認しないため、
以前1222円の商品を買おうとした時に、
札束が入ってなく、小銭を全て出して
どうにか1227円になり、
ギリギリのところで奇跡的に買う事ができて
すごく恥ずかしかった。
「これからは気をつけないとなぁ」
と恥ずかしいエピソードを話していました。
こういう事態が度々あるらしく。
お金にも無頓着な性格が伺えます。
なんかすごく親近感ありますね笑。
今一番欲しいものは、楽曲制作に使う
エフェクター(2万程度)と答えている。
お金を持つのが恐いという話もしていました。
米津玄師の洋服について
身長がでかいので、合うサイズが少ない。
服は人並みに興味はあると話している。
ハチという名前の由来について
どうしてハチなの?という質問に対して。
色々理由はあったんですけど、なんでですかね笑。
フィーリングですね。なんかまぁ、覚えやすい名前がいいかなみたいな。
ハチはエイトという意味?という質問に対して。
ナナという少女漫画があって、うちのオネェちゃんがすごい好きで、
ナナという名前の人とハチという名前の人が居た。たぶん、
そこから来たんじゃないかな。
と答えている。
米津玄師さんとジブリの関係
小学校の時に、千と千尋の神隠しを観て衝撃を受け、
どうしたらこのような世界観を表現できるのだろうと、
ジブリを作った人が書いた本などを読み漁っていた。
ジブリ好きを公言しており、
ジブリ汗まみれというラジオヘビーリスナーだった。
また、漫画版のナウシカがとても好きでよく読んでいた。
光と闇が両方存在しなきゃいけないんだ。
という事を、漫画版のナウシカから学んだと話していた。
米津玄師さんの交友関係
以前から、菅田将暉さんとは
共演した事もあり、
お酒なども飲んだ事あった。
なんて言っていましたが、
なんと、、、
あのyoutuberのヒカキンさんや
マホトさん、まふまふさんと
飲みに行っている画像がありました!!
昨夜はマホトくん、ヒカキンさん、米津さん、まふまふでお酒を飲みにいきました!
違う世界の話を聞けて、夢のある話ができて、本当に楽しくてありがたいひとときでした。
みんなお酒強すぎて全然ついていけず、途中実は半分寝てました。ありがたいひとときでした。 pic.twitter.com/8KDYUFRThv— まふまふ@6/22まふまふワンマン西武ドーム (@uni_mafumafu) January 30, 2019
ビビ
めちゃめちゃ貴重な写真ですね。
すごい仲良さそうだし、
素直に羨ましい……。
2019年4月22日の
菅田将暉オールナイトニッポンでは、
菅田将暉に呼ばれたら「どこへでも行きますよ」
と話をしている。
元々菅田将暉と会う事になったきっかけは、
カメラマンの中野さんという方が
菅田将暉と米津玄師を引き合わせてくれた
事がきっかけだそう。
カメラマン中野さんがスタジオ内に
卓球台を購入して設置し、
菅田将暉と米津玄師、その他関係者で
卓球大会が開かれているのだとか。
また、菅田将暉を心から尊敬しており、
「なんか俺さ、菅田将暉を褒めすぎて
ちょっと気持ち悪いみたいな感じになってないかなんて、
気にしてるのよ。前のさ、前の時もさ、
ひたすら褒めるみたいな瞬間あったけどさ、
褒めすぎると逆に胡散臭せぇみたいな。
あなたほんと天才ですよ。すげぇと思うよほんと」
というコメントをするぐらいには、
尊敬&敬愛している。
菅田将暉の声についても、
聞けば聞くほど良いなと思って嫉妬する。
という話もしている。
米津玄師さんが観ているアニメ
ラジオにて昔使っていたギターを聞かれて、
「最初はじめる時は別に
音の良し悪しとか考える必要ない。
ほんとに見た目、格好いいか、
格好良くないかすごい大事。
自分のね、自分のゴーストに響くか
どうかが大事ですよ」
と答えており、
パーソナリティが
「えっ?ゴースト?w」
と答えた後に、
笑いながら、攻殻機動隊ねw
と答えた。
攻殻機動隊は観ているそうです。
攻殻機動隊はNetflixのみで配信されており、
他の動画サービスでは無いです。
こればかりはネトフリ契約するか、
TSUTAYAに行った方がよさそうです。
攻殻機動隊は種類が色々あるそうで、
間違った順番から観ると楽しみが半減するとか。
▼この順番で観たらいいそう。
TV版(1期):攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(全26話)
TV版(2期):攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG TV版(全26話)
映画版:GHOST IN THE SHELL 2.0(リメイク版)
映画版:イノセンス
映画版:攻殻機動隊 ARISE
映画版:攻殻機動隊 新劇場版
米津玄師さんの曲制作秘話
ここでは、あらゆるところで米津玄師さんが語った、
楽曲制作秘話について書いていこうと思います。
できるだけ米津玄師さんの話した内容そのままに
近い形で書いています。
曲の作り方について
音楽はパッとひらめくんですか?と聞かれて、
パッとひらめくというよりも、性格的に「本当にこれで正しいのだろうか?」
と考えるタイプで、パッとひらめいた後に、もっと工夫できるのでは無いか?
もっといい音楽になるんじゃないか?とこねくり回して、こねくり回して作るスタイル
なので、結局また最初の案に戻ってくることなんて何度もあります。
との事。
ビビ
また、別の放送にて、
昔は人に分かりやすい音楽というよりも、個人的な自分はこう思う!という
音楽を作り続けていたけど、それで続けてもしょうもないなと思って、
狭いところで狭いところで作っても堂々巡りだなと思った。
今は人に分かりやすいようにおじいちゃんにもおばぁちゃんにも
子供にも分かるような普遍的な音楽を作りたいと思っていると話している。
曲作りの時には、はじめに曲のお話みたいなものを作っているんですか?
という質問を受けて、
米津玄師「お話ではないけど、最初にイメージがあって、ここにこういう建物があって、
どういう人が住んでてみたいな、そういうシュチエーションがあって、そこから広げることが
多いですね」
DJ「じゃあ場所から生まれていく?」
米津玄師「場所というか、光景ですね」
と話している。
別の放送では、過去マンガ家を目指していた時に、
漫画として描きたかったストーリーがいくつもあって、
それを、曲にしている時が多々あるとの事。
スランプの時期
dioramaを作った後に、全然音楽が作れない時期があった。
それでも、前を向いていこうと思う気持ちで、
YANKEEというアルバムを作った。これまで、斜に構えて構えて
来ていたけど、ここでポジティブな感じに転換した。
という様なことを2014年放送分のラジオで話している。
lemon(レモン)について
lemon(レモン)を書いている時に
気分を盛り上げるために聴いてた曲は何か?
という質問を受けて、
米津さんは松任谷由実さんの
「Hello, my friend」(ハロー・マイ・フレンド)に
ものすごく影響を受けて書いている。
コード進行とかも分かる人が聴いたら分かる
と答えています。
lemon(レモン)書いている当時、
昭和のポップソングにものすごくハマっていた時期があり、
小田和正さんや松任谷由実、中島みゆきさんの曲も
とてもよく聴いていたと言っていました。
▼lemon(レモン)を作る上で影響を受けた曲はこちら
ビビ
雰囲気や曲の盛り上がり方が似てる!なるほどね〜〜!米津玄師さんのフィルターを通すと、
ユーミンの曲もまた新しい色になって輝き出すんだね!すごい
また、lemon(レモン)のテーマは死がテーマになっており、
死についての曲を作っている時に、実際に米津玄師さんのおじぃちゃんが
亡くなったらしく、人の死を思う詩を作っている最中に、実際に肉親が死ぬって
どういう事なんだろう。と思いつつ、一度作ったものをすべてボツにして
作り直したのだとか。また、lemon(レモン)を作る上で、茨木のり子さんの
詩集をものすごい読んでおり、とても影響を受けたと話している。
▼死について書かれた茨木のり子さんの有名な作品がこちら
飛燕(ひえん)について
飛燕は風の谷のナウシカの光景をイメージして
作られたそう。登場人物もナウシカの目線と自分の
目線を重ねているそう。
BREMEN(ブレーメン)のアルバムについて
米津玄師さんがランニングをはじめた時に思いついた曲が、
ブレーメンのアルバムに入っている「アンビリーバーズ」
このアルバム自体は、廃墟になった街の使われなくなった高速道路の上を、
色んな生き物達が、暗い方へ歩いているというイメージがあり、
それが、自分が今住んでいる街が明確にあって、それは、
普段ランニングしている風景を元に作っている。
これが、このアルバムの大元になっている。
ストーリー自体は、
どこかへ行くというよりかは、どこかに向かうというのが、
このアルバムでは重要なワードであって、
ブレーメンってそういう話じゃないですか?今居るところじゃなくて、
ブレーメンに向かって、音楽隊でもやって暮らそうじゃないか?
という話で、それが、今の自分の心情とリンクしたんですよね。
だから、どこかへ向かう。それが不確かなものであろうと、どこかへ向かう。
というものを主軸に置こうと思って作りましたね。
と某ラジオにて話している。
別ラジオで今居るところが疲れて、別の場所に向かいたいという気持ちと
リンクしたと話していることから、
気持ち的に疲れている時だったのでは?と思われる。
菅田将暉に提供した「まちがいさがし」について
レコーディングの時は、四畳半ぐらいの
狭いスペースで録ったらしいです。
菅田将暉だけが歌う予定だったが、
米津玄師が「一緒に歌おうぜ」と声をかけ、
ブースの照明を変え、キャンドルや
アロマなども持ち込んで
ガッチリ自分の空間を作った上で、
菅田将暉の歌声に合わせて米津玄師が
踊ったりしながら楽しく制作した。
ただこの時、菅田将暉はとても楽しかった。
と言いつつも、
「ただ、俺の近くにアロマ置くのだけは止めてw
喉に匂いがすごい。ちょっとだけ離してw
あれ雰囲気はいいねんけど、ちょっと近かったわ。
なんかあのフルーティーな、植物系の、白い花やろうな。
なんかいい匂いなやつ」
という事を米津玄師に話している。
また、全て歌い終わって残り1日。
あとはコーラス録りだけで完成という状況で、
米津玄師さんから
「ちょっとここのメロディもうちょい試していい?」
という感じで最後の最後まで曲作りのクオリティを
高めるために試行錯誤してたのを見て、
菅田将暉がとても感動していた。
米津玄師さん初期の頃の楽曲
久々の追記です。米津玄師さんの
バンド時代だと思われる(正確な時期は不明)
当時の曲1曲が収録された
コンピレーションアルバム発見しました!
こちらです。
ちなみにAmazon Prime会員であれば、
月額400円でこのアルバムも聴き放題です。
動画やアニメなども見れるので、
どうせならAmazonの方がお得です。
このアルバムは、
プロを目指す様々な若者の曲が
1つのアルバムにまとめられた。
コンピレーション・アルバムです。
色んなバンドに混じって、
米津玄師さんの曲
「オボロヅキとその考察」という1曲が
抑えめられています。
※コメント欄にてコメントを頂き、
こちらの項目を修正しました。
米津玄師さんの曲は1曲のみだそうです。
教えてくれた方々ありがとうございますm(_ _)m
米津玄師の当時の楽曲、
1曲のみだけど収められているのは
とても貴重なのでファンならぜひぜひ。
まとめ※随時追加していきます
この記事書くのにあたって、1つ1つ丁寧に聴きながら、
抽出して書いているので、ものすごく時間がかかるのですが、
随時追加していきます。
ビビ
ビビ
どこで話していた情報なのか?とセットでコメントしてみてね!確認してソース大丈夫そうなら、
イチ米津玄師ファンとして掲載するよ!よろしく
読ませていただきました!
情報の細かさ 圧巻!感動!
とにかくすごいですね!
米津玄師ファンですが知らないことたくさんあってとても勉強になりました!
作っていただいて
ありがとうございます!ブックマーク追加しました
また楽しみにしてます🌟
>>tuさんコメントありがとうございます!
新しい情報が入る度に追加していくので、
また覗きに来てくださいね\(^o^)/
米津玄師さんのバンド時代の音源などの
情報を追加してあります!
チェックしてみてくださ〜い!
お金の話は、1222円のお会計で、米津さんがその時持っていた小銭が1227円で、5円残ったというお話でしたよ〜。
めちゃくちゃハッとした。奇跡だなって思って、これから気をつけようと思ったそうです。
>>yさんコメントありがとうございます!
改めて確認したら、yさんの言う通りでしたね!
この記事をまとめる為に徹夜してた時だったので、
ちょっと聞き間違えていました!
記事は修正しています!
感謝です|◍’ᴗ’◍)و✧
すごく情報が細かくて、米津さんファンですが、知らないことがありました!可愛い米津さんのエピソードが知れてよかったです!!バンド時代のアルバム、買ってみようと思います。
>>八谷さん追記です。
記事内に修正箇所があり、
修正しました!
正しくは、バンド時代のアルバムではなく、
様々な若者の曲が1つのアルバムに
まとめられたコンピレーション・アルバムの中に、
当時の米津玄師さんの曲が1曲のみ
収録されている形だそうです!
申し訳ないです(T_T)
>>八谷さんコメントありがとうございます!
この記事まとめるのに、
米津玄師さんのトークを聴いて、メモして、
またまとめてみたいなのやってて、
とても時間がかかってるので、
そう言ってもらえると嬉しいです\(^o^)/
自分自身も、バンド時代のアルバムとか
発見した時に!
うぉおーー!!すげぇええーー!!
って毎回驚いて記事にしてますww
時々情報追加してるので、
また遊びに来て下さーい\(^o^)/
あのアルバムは 当時のプロを目指す若者の優秀な作品だけをあつめたもので、米津さんの オボロヅキとその考察が「選ばれた」のです。他曲には米津さんは関わっておりません。
>>ななさんコメントありがとうございます!
記事内修正いたしました!
情報ありがとうございます!
業界の情報通に話を聴いて載せたものですが、
改めて色んな角度から検証して載せる必要があるなと
思いました。
感謝ですm(_ _)m
オボロヅキだけはバンドの曲ですが他は米津さん全く関係ないコンピアルバムですよ…
>>ぬーさんコメントありがとうございます!
修正させて頂きました!
申し訳ない(T_T)
プロフィールの「活動開始時期」という項目が10年違ってます…(^◇^;)
とても面白い記事で1ファンとして感動しております!ビビさまに感謝です!同じく米津さんファンのお友達にもオススメしたいと思います。新しい情報も陰ながら楽しみにしてますね!
>>おこめさんコメントありがとうございます!
2009年を2019年と書いてしまってましたね(´・ω・`)w
すんません。誤字ですw
今修正しました!ありがとうございます\(^o^)/
雅人です。よく細かく調べましたね。じっくり読ませていただきました。米津玄師の世界をかいま見る事が出来たような気がします。
雅人です。コメントを掲載していただきありがとうございました。今回、横浜と幕張のライブチケットが取れなかったので今年の秋頃からライブツアーが始まると思いますので今度はチケットをとりたいと思います。
米津玄師さんいろいろきけて、よかったなあ、ありがとうごさいました。
あまり知られてない米津さんのことを知る事できて
ますます米津さんが好きになりました!飯屋に行っても
ソバを食べたり、菅田将暉さんやヒカキンさんとお酒を
飲んだりする可愛らしい一面もあるとは!!!!
あまり知られてない米津さんのことを知る事ができて、ますます米津さんのことが好きになりました!
しかも、菅田将暉さんやヒカキンさんとお酒🍶を
飲みに行ったりする可愛らしい一面もあるとは!!
どうしよう。豚に反応するーーいやー笑笑、泣。仕方ないかーでも美味しいらしくて良かったです。笑笑。色々と米津玄師さんの話楽しかったです。聴いてた音楽が変わってるなって思いました。だから未知なる音楽が生まれるんだなって思いました。
米津玄師いいねぇ
毎回MVやらPVやら眺めてる
米津玄師と言う1人の人間として好きなんだな
凄く魅力的な人だしこれからも年を重ねる毎にもっと素敵なお大人の男性へと変わって行くのだろう。